. 言論NPO主催「東京-北京フォーラム」公式サイト - 2015年開催 第11回

 メディア対話は、「両国関係の発展を支える国民間の相互理解をどう進めるか―健全な世論の喚起と言論の責任」をテーマに、日中合わせて17名のパネリストをお招きして開催されました。日本側・高原明夫氏(東京大学教授)、中国側・王衆一氏(人民中国雑誌社総編集長)、高岸明氏(中国日報社副総編集長)の司会で開催されました。日本側のパネリストは、加藤青延氏(NHK解説委員)、小倉和夫氏(国際交流基金、元駐フランス大使)、伊藤俊行氏(読売新聞東京本社編集委員)、江川雅子氏(一橋大学教授)、大野博人氏(朝日新聞論説主幹)、杉田弘毅氏(共同通信編集委員室長)、山田孝男氏(毎日新聞特別編集委員)の8名、中国側は趙啓正(中国人民大学新聞学院長)、井頓泉(中国宋慶齢基金会副主席)、?恵生(中華全国新聞工作者協会常務副主席)、袁岳(零点研究諮詢グループ董事長)、金瑩(中国社会科学院日本研究所研究員)、王暁輝(チャイナネット総編集長)、?飛(北京戯曲評論学会会長)の5名が参加しました。

 まず、前半パートの基調講演において、中国側から趙氏が「メディア分科会は今までの10回のフォーラムにおいて必ず取り上げられていたテーマで、時には厳しい議論となった。メディアは我々の生活に直接影響を受けるものであって、『賢いリーダーはメディアについていく必要はない』などと言うものの、どの国のリーダーもメディア報道に影響を受けないということはない」と述べ、今回の分科会の意義を強調しました。


メディアには、相手側に立つことを心がけて、深い知識を得ることが必要に

 次に杉田氏は、「確かにメディア、ニュース報道はネガティブなものを伝えがちであり、その結果マイナスイメージを作りだしている部分はある。ネガティブなイメージを作り出す記者やその記者がつくるニュースは、相手国に対する知識がなかったり、あるいは相手の立場に立った考えができないような場合が多いと思う。我々の使命としては、相手方に立つことを心掛け、それについて深い知識を得ていくことが必要条件になってくると思う」と述べ、メディアにとって必要なことを改めて強調しました。

 続いて王氏が「現在、メディア自体にもSNS等の新しいメディアが参入してきて、かなり複雑な事態があり、これらは伝統的なメディアに影響することもある。しかし、こういった局面で特に理性的な声を探すのは難しく、だからこそ、正しい立場をとって事実を報道しなければならない」と述べ、SNS等が世の中に大きな影響を与えている状況において、既存メディアの役割について語りました。


既存のメディア報道に対する姿勢と、
メディア報道の受け手の側となる民意のあるべき姿

 さらに、小倉氏が「率直に申し上げれば、日本においてメディアは政治的すぎる。そして、中国の人はメディアを非常に信頼している一方で、日本は信頼していない。それは、日本においては国民一人ひとりからするとメディアは非常に大きな権力として映るから信用ならない」と語り、日中両国民のメディアに対する意識の差を指摘しました。

 また、小倉氏の指摘に関連して、インターネットは民意を反映しているのかという点について、世論調査では、日本において「反映している」と思う人は3割弱にとどまる一方で、中国世論においては、「反映している」または「適切に反映している」と思う人を併せると8割を超えるという指摘が出たところ、中国側の王氏は「中国はここ数年インターネットがすさまじい速さで発展してきた。そして、膨大なユーザーを持っているからこそ、国民の思っていることを反映していると思う。また、もう一点付け加えるとメディアは日中関係に対して責任を持たなければならない。政治面の話になると国民感情などが様々に入り混じってくるために複雑なこととなるが、基本的にはメディアも客観的な立場に立って情報を発信し、両国メディアはやはり明るい未来を期待して報道を行っていると思う」と語り、インターネットの発展と民意、そして既存のメディア報道に対する姿勢と、メディア報道の受け手の側となる民意のあるべき姿について主張しました。


受け手側も発信手段と情報伝達手段なのかを見極めることが必要

 一方で日本側の加藤氏は「メディアがマイナス面の報道を行うことは決して悪いと言っているわけではなく、メディアはそういった宿命なのではないかと思う。例えば、日本国民がネガティブなニュースを見てもあまり驚かないのは、ネガティブではない通常の日本について身をもって体験しているため、ネガティブなことは特殊なものとして受け止められる。そういったところで報道機関という機能は役立っていると思う。しかし、外国に対してネガティブな報道が出た時は、そのような通常の部分が欠け落ちているために、そのままネガティブなものと受け止められてしまう。そうなれば、中国に対してネガティブな報道がなされると、悪いことだらけではないかという勘違いが起こってしまう。ここがメディアの力で克服できるのか、民間交流によって克服せざるをえないのかが一番悩ましいところだと思う」と述べ、メディアの構造から宿命までを解説し、その克服をいかにして行っていくべきかについて主張しました。

 加藤氏のこのような主張に対して、「一つのいいメディアは実際のものをありのままに報道をする。例えば領土問題が存在しなければメディアは領土紛争について報道することはないと言え、そうだとすれば、中国の伝統的なメディアはとても客観的な立場に立って報道を行っている。しかし、今はSNS等により個人的な情報発信者がどんどん増えており、客観的かつ正確に報道するのではなく、自分勝手に発信することがよくあるということだ。もう一点は、一つの事実について何を報道するのか、どこにエンファサイズするのかを取捨選択しなければならない問題もある。中国の場合は国益に合うように、また、中日両国の関係に良い影響を与えるように話をする必要があり、話を誇張してはならず、政府がそれをどのようにコントロールするかも非常に大切になってくる。政府が適切な処置をとっていれば、当然ポジティブな報道となる」と述べて、SNSが発達している世の中における既存メディアとの付き合い方、政府とメディアとの関係について主張しました。

 一方で小倉氏は「議論の際に注意をしなければならないことは、メディアは発信手段なのか、情報伝達手段なのかという点であって、両方の側面があると思う。情報伝達としてのメディアは非常に客観的であってフェアな世界であるものの、メディアが政治的な意見を持っている場合、それを主張することはあっていいと思う」と述べ、受け手側も発信手段と情報伝達手段なのかを見極めることが必要だと語りました。


メディアは人の立場に立って報道するべき

 その後、議論は日本の安保法制とメディアに関する部分に及び、「安保法制に対して反対の声を日本のメディアは報じなかったということではないが、大変難しいのは、外交や安保という領域は、国益というものを常に意識しなければいけないが、国益を主張してなんでもやっていいわけではなく、常に心がけているのは、長い意味での日本の国益を考えてやっていこうと考えている」と述べ、国益に伴う報道に関しては、記者として試行錯誤していると語りました。

 次に、王氏から「メディアの客観性、公平性について中国の哈爾濱で旧日本軍による毒ガスの爆発による死者が発生した事件があったものの、日本のメディアは当時中国側の被害者のことをあまり報道しなかった。もっとも、そのような報道によって、様々な反感が出てきたことも事実であった。こういった場合においては、相手への思いやりがあるかどうかが必要であって、メディアは人の立場に立って報道するべきである」と主張し、メディアの報道姿勢にたいして指摘がなされました。

 メディアの在り方における様々な角度からの自由闊達な議論が白熱するままに、分科会の前半は終了し、コーヒーブレイクに入りました。



民間交流の重要性

 後半の対話ではまず、小倉氏が「文化交流の量の低下が顕著であること、対話の多様性が欠如していることを指摘しました。そのような中では、個人同士、地方と地方、職業団体が、日中共通の問題に取り組むことが求められる」と語り、個々人同士の交流の促進が必要であることを強調しました。

 続いて、高氏が「文化が交流の手段として、どのように影響するかがわかった。今年の世論調査において、日中関係の改善のための手段として、民間対話が重要と答えた人が24%であって、多くの人々が民間対話を望んでいる」と述べ、関係改善、促進のための民間の対話の重要性を主張しました。

 金氏は「感銘深いことに、日本人の中国の文化に対する理解は深いと思う一方で、逆に中国人の日本文化への理解が足りない。中国の皆さんは日本の中世の文化にもっと注目し、深く学んでいく必要があると思う。文化交流は、使いなれた言葉ではあるが、簡単なことではない」と述べ、文化交流は何百年に渡って継続していく必要があると語りました。

 それに対して、大野氏は「文化の話をする時は中国側、日本側と分けて話をすべきではない。文化は国を超えて行うものであり、政治と相対化すべきだ。しかし、政治側は文化を絶対化しようとする。文化は国を背負わない存在でなければいけない」と主張しました。

 袁氏は「このような一つの小さな会議室のみで議論を終えてはいけない。さらに言えばもっと若い人々が参加する機会があっても良いと思う。例えば安保分科会では、多くの将軍が参加しているように、若い兵士が参加する機会があっても良いと思う」と述べ、議論の継続と若い世代を巻き込んでいく必要性を訴えました。


歴史の重要性と文化交流の必要性

 江川氏は「歴史を知ることはやはり重要であり、例えば、日本では世界史の授業で、中国の歴史を学び、古典で中国の漢文を学ぶ。一方で、平均的な中国の若者はどのように学んでいるのかが気になった。古代の中国は日本に文化を輸出してきたが、今では多くの人々が文化交流を通じて、近代以降、日本の文化に興味を持つようになった。そこで重要なのが大衆文化であって、今日では、重要な大衆文化の交流が不足していると思う」と述べ、改めて歴史の重要性と文化交流の必要性を訴えました。

 杉田氏は、「小倉氏の言葉にあったように、日中共通の課題に取り組むことが重要であって、グローバルな課題に臨むとき、自国の立場を完全に消すのは難しいものの、自国の立場のみならず、相手の立場を考慮したところに高いレベルの議論が存在すると思う」と述べ、容易なことではないものの、相手の立場を考慮することの重要性を強調しました。

 そして、高原氏は「世界共通の課題に関して言えば、排他的なナショナリズムを乗り越えることが、日中両国、世界の課題の解決につながると思う」と付け加えました。

 加藤氏は「異文化と接することに文化交流の価値があり、自分たちの文化と異なる文化と交流することで、別の文化への尊敬やそれに対する感動を覚えることに文化の価値があると思う」と語り、自身の考える文化の本質について主張しました。

 袁氏も加藤氏の主張に賛同し、「中国の文化は様々な文化を吸収して、今日に至っている。例えば若者文化としては「ゲーム」が挙げられる。その一方で、今の若者が新しい文化を創り出していくことは空白の状態となっている。もし、新しい文化を創り出すことができれば、日中文化の上に立つものとなる」と述べ、新しい文化の創出が、今後の日中関係の発展に大きくつながっていくことを主張しました。

 伊藤氏は、「文化交流に関していえば、国際交流基金による助成が減っている。メディアに関して言えば、新聞の発行部数は減少し、最近ネットの利用が増加している。NYTIMESの試みで行っているような、ブランド力を高めるための取組みが必要である」として、メディアの現状とこれからについての展望を語りました。

 王氏は、「文化の専門家として大切なことは、どのように両国の文化を促進させるかであって、例えば書道のような日中に共通する文化をどのように発信していくかが重要である。そして、時代の変化に適応し、映像、画像等をトータルな文化で発信させていく必要がある」と語りました。


若者支援の必要性と若者の交流の場を創出していくことの必要性

 小倉氏は、「中国側の基金に関しては、約10年前に、日本の高校生が中国の地方都市へホームステイを行うこと、また中国の若者が日本の現代文化を知ることを支援するための日中交流センターという100億円ほどの基金を作った。また、フォーラムに若者を呼ぶことも大切ではあるが、若者同士の交流を増やしていかなければならない」と述べ、若者支援の必要性と若者の交流の場を創出していくことの必要性を訴えました。

 孫氏も小倉氏の意見に同意した上で、自身が中国青年団の幹部を日本に派遣している実績を紹介し、「訪日を辻手、中国の若者が日本の文化への理解を深めることができた」と語りました。江川氏も同様に、小倉氏の意見に賛同し、「日中関係が悪くなった時に、『京論壇』という東大の自発的な取組みがあったように、若者の良いところは、お互い刺激し合っていくところだと思う」と述べ、若者に対する期待を語りました。

 ここで、質疑応答の時間に入り、会場から「日本のテレビ番組や、映画の公開を求める声が多い一方で、問題も多く存在することから、それらが中国では簡単に公開されない傾向がある。綺麗で高尚な文化のみならず、中国には日本の文化を全体として受け入れる準備があるのかを中国の専門家にお尋ねしたい」という質問がありました。

 この質問に対して高氏は、「確かに日本の作品の受け入れ自体は少なく、アメリカやヨーロッパのものが中心であることは確かなものの、それは人々の関心やビジネス的な部分によるところが多いため、受け入れ自体の少なさのみという点から、日本の文化を全体として受け入れる準備がないとは言えない」と主張しました。


来年以降につなげていく対話を

 最後に総括として、文化は一つの双方の交流が行われるプラットフォームであり、国際的な観点から中日両方の若者が参加していくべきである。また、文化は一つの手段として使っていくべきであり、SNSの使用や行動を伴って、また具体的な一つのプロジェクトを通して行っていくべきとされました。さらに、このフォーラムの重要な趣旨は、今年出された提案が来年において実現できたかどうかを振り返る点にあるとされました。

 今日は、両国民の間に認識の差やその克服のための具体的方式などを有意義に話し合うことができ、これらを解決すべきだという共通の目的意識、コンセンサスがあることから互いに信頼し合うことができたとされ、これを来年以降につなげていくことを確認し合った上で、分科会は閉会しました。

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