. 言論NPO主催「東京-北京フォーラム」公式サイト - 2009年開催 第5回

政治対話(前半)②

松本氏:

 ありがとうございました。中谷先生からは現実的な指摘がなされたと思います。

陳昊蘇氏:

 このフォーラムは、これまで大きな成果を収めています。政府や民間の努力が最大の要因でしょう。
胡錦濤先生、温家宝総理も訪日し、会見をしました。日本でも安倍氏・福田氏・麻生氏の三人の総理が積極的な役割を果たしてこられました。鳩山総理も、日中関係と東アジア協力に積極的な姿勢を見せています。これも、関係発展を進める力です。フォーラムも民間ベースで大きな役割を果たしてきました。日本の皆様と、成功の喜びを分かち合ってきました。現在の両国の関係は、発展のチャンスに恵まれています。日本とはともに、調和の取れた世界を実現していきます。

 鳩山総理は友愛を説き、アジアに持ち帰りたいといっています。私は、第二次大戦後のヨーロッパの和解を思い出します。アジアとヨーロッパは違い、アジアでの共同体への道のりはもっと長いでしょう。しかしいつか必ず始まる、今始まろうとしています。アジアの人、特に日本と中国が協力すれば、進んでいくと思います。30年あれば、ヨーロッパが歩んだ道を達成できるかもしれません。

 両国の理解と信頼を構築する中で、自信、確信をアジアは持っているということです。「自信」というのは、成熟した知恵です。一体化を推進するプロセスの中で、文明を持っている大陸は、世界人類に貢献します。「確信」というのは、日中の団結を基礎として、韓国やASEANと協力し、アジアが一緒に革新を進めていくことです。もうひとつは、「恒心(変わらない心)」―困難があっても後退しないということです。中国は変わらぬ心をもってこのプロジェクトを進展させていきたいと思っています。

 私は5回フォーラムに出席しました。皆さんに心からの感謝を申し上げます。30年後に共同体プロジェクトが成功を収めたとき、そのために尽くした努力を忘れないでしょう。

 私達は3つの心(シン)をもって、進めていきます。ありがとうございました。

松本氏:

 東アジア共同体というのが本当に始まってきた、というお話でした。アジア通貨危機のときに、新聞や雑誌が、「21世紀はアジアの世紀」と報道しました。しかしそれには条件がある、日中がアジア共通の場をつくっていく必要があるのだ、と。そういうお話だったと思います。

劉江永氏:

 ありがとうございました。陳さんは日中友好に努められてきた、日本と親交のある方です。

藤田幸久氏(参議院議員):

 藤田です。大連に来るのは2回目ですが、最初に来たのは民主党ができた直後でした。鳩山さんの最初の外国訪問先として、私は「中国がいいだろう」と申し上げました。残留孤児の養父母の方にお礼を申し上げるべく、大連に参りました。私は、彼らが大切に子ども達を育てたことに感激いたしました。

 もうひとつ、中国の未来の指導者たちにお目にかかりました。

 私が手がけたものの中に、対人地雷禁止条約というのがあります。東アジア共同体についてです。私は独仏和解に関係するNGOにいました。仏独は、石炭を取り合う限り紛争が起きる、だから共同で管理するということだったと思います。

 重要なのは、経済、文化的に交流を深め、争うことが利益にならない構造をつくることだと思います。4000人のドイツ人と2000人のフランス人が、第二次世界大戦直後に合宿をしたことがありました。それで交流をしたのです。

 日中でも、様々な人々の交流、和解、展望、癒し、というのが重要ではないでしょうか。中国で漢字を使用し、日本はそれを流用してきた。いまままでは日本の技術を中国が流用してきたと言えるかもしれません。知的財産権の保護についても重要ではないかと思っています。

 独仏和解とアジアの違いということについては、日中のアジアにおける存在が、大変大きいことだと思います。戦争や争いはお互いのためにはならないという視点をつくることが重要だと思います。異なる国同士が、お互いを受け入れることが重要です。日本では政権交代が行われ、政治がリーダーシップを発揮し、官をつかっていく動きが生まれています。そして、公共財を日中、さらに地域的に動かしていきたい、ということ、それが東アジア共同体であると思います。このフォーラムの貢献をお祈りいたします。

松本氏:

 戦争をしないような平和的な共同体をどうつくるか、というお話でした。

親カテゴリ: 2009年 第5回
カテゴリ: 記事